5月12日に長野へ移住しての初登山へ参加してきました!
移住してからなにか自然に関することをしたいな〜とぼんやり思っていたので
登山は 「コレだっ」って思いましたね。
今回は初心者にもおすすめな光城山に登ってきました。
光城山に駐車場はある?場所は?
集合場所が光城山の駐車場だったので、
調べてみるとしっかりと駐車場がありました!
初めての場所ってどこなのか不安でしたけど
聞いたらここで合ってるとのことでしたので
安心して向かうことができました。
駐車場のところにこの看板があります。
30台くらい停められそうな駐車場が出てきます!
この日は意外と混んでました。
この坂を登ってくると駐車場ですね。
登山口にあるトイレです。
ここは匂いがきつかったですね笑
子供が嫌そうな顔してました…
光城山の桜は?
光城山の桜は有名みたいですね!
流石に5月12日はほとんど咲いてなかったですね。
見頃は4月中旬~4月下旬みたいなので見るかたは2020年4月を狙ってください。
桜が昇り竜に見えるそうですね!
出典:さわやか信州旅.net
夜なんか綺麗でしょうね〜!
光城山の標高は?
初心者にもおすすめということで
912m(光城山山頂)
と優しい標高になってます♪
頂上はこんな感じの眺めでした。
少しぼやっとしている感じですね。
もっとくっきり見てみたいです^^
山頂までいくと神社がありました。
光城山山頂にある古峯神社
ちょっとボロボロでした。
入っていいのかもわからず写真を撮るのみに。
この山頂にお城が築かれたのは遠く五百年余りの昔、戦国時代もまだ始めの頃、海野六郎幸元という武将がここに城を築いて自ら光之六郎幸元と名乗ったといわれている。この海野氏の一族は、そのころ会田、刈谷原、田沢(上の山)、塔ノ原にそれぞれ城を築き、互いにノロシ等を使って連絡しあって栄えていたので、城内の最も高いところでノロシ台のあたりに火の守り神とされる此の古峯神社が祭られてきたものであろう。
やがて戦国時代の末頃、川中島の合戦が近づくや、武田信玄(晴信)の先鋒によって、天文二十二年(1553)三月、刈谷原城などとともに光の城も攻め落とされて武田方に従ったということである。 豊科町内では規模の大きな山城で、鎌倉時代にこの地に来住した海野氏の一族、光氏によって戦乱の激しくなった戦国時代(16世紀)に築かれたと考えられる。
犀川右岸丘陵上の尾根道南端を固めており、武田氏の松本平進攻に対しても、兵を配備し籠城したとみられる。しかし、天文二十二年(1553)、刈谷城攻めに際し戦わずして落城した。その後、天正十年(1582)に松本城主となった小笠原貞慶によって修復されたと考えられる。
『光城跡案内板』より
光城山登山まとめ
初心者にちょうどいい高さの光城山ですが、
上りより下るほうが疲れるね。
靴の履き方がわるいのか、
あるきかたがダメなのか、
靴が合っていないのか、わからないけど
最後の方はつま先が痛くなってしまいました。
山ならではの遭遇ですね!
いろんなものと出会ってみたいです。
熊と会ったらすごいなー!